ママと娘の交換日記(ときどき息子も)

HSPのママとマイペースな娘(9歳)とのほのぼの交換日記。ときどきHSCな息子のお話。

この真実を知った上でどうするのか?私なりに考えてみた!

皆様こんにちわ。

しばらくの更新になり大変申し訳ありません。

今月に入ってパートのお仕事が週2日だったのが週3日に変わり、

読書が少し疎かになってしまっていました。

 

でもその分、徒歩通勤なのでウォーキングは増え、

なおかつ体を動かす仕事なので、体力向上にはつながっているかな?と(笑)

 

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松岡 亮二さんの『教育格差』

今回はこちらを読み終えました。

 

前回は橘木 俊詔さんの『教育格差の経済学』

こちらを読破しましたが、

反対から読むべきだったと少し反省。

 

 

まず始めから父の学歴と子の学歴の格差結果を突きつけられ、

もしかして我が家は絶望的なのでは・・・

と落胆してしまったのはいうまでもなく。

 

やはり収入格差でいっても、

大卒ではない夫の限界は見えているので。

(かと言って大卒の私の収入源はパートですよ?)

 

なすすべなくこの教育格差を受け止めるしかないのかと思ってしまったけれど、

子どもたちの可能性には格差があってはいけない!!

勉強が嫌にならない仕組み作りを少しづつ実践したりしてはいても、

やはり不安は尽きない。

 

 

もしかして教育環境を整えてもらえるのかなー?

と期待した気持ちで読んでみたものの、

教職免許の取得を投げ出して卒業した私になんて

到底足元にも及ばない課題の大きさに

ただただビックリさせられるだけでした。

 

けれど、家庭内でもできることがあるよと

このコロナ禍で塾や習い事以外での学びの機会をたくさん発見することができたし、

最終学歴だけを取ってみただけでは、

私のように何の強みもなく仕事に就けていない人々もいっぱいいるのも事実で。

 

なので我が家では可能性にフォーカスして、

大卒を目標とするのではなく、

短大や専門や留学などの幅広いものをものを視野に入れて

子どもたちの成長を見守っていきたいなと。

 

高校受験で燃え尽きた私は、

そのあとの進学に対して流されるままに生きてきて。

高校を中退した夫も、

時の流れるままに生きてきて。

だからお互いの痛みが分かるのだろう。

 

だからこそ、子どもたちとは将来のことについて真剣に向き合っていきたい。

 

黙っていても育つというのは、土台があってこそ。

その土台を作って行くのは私たち親と教育者、周りの人。

その親が、しっかりさせなきゃと間違った方法で教えているのであれば、

そこには第三者が介入して正しく導いて欲しいと願う。

 

私のように、親がしっかりしてないからだと言われ続け、

助けてと声を上げることすらできず苦しみ、

周りからは腫物を触るかの如く離れられ。

夫婦ともに頼ることが恥と思ってしまっていた過去が恥ずかしい。

 

今はその修正を試みている途中なので、

私もまだ少し情緒不安定になり落ち込んだりイライラしたりもあるけれど、

子どもたちへの影響を最小限に抑えようとしていて。

 

子育ての方法も、

その歳だからこれができるという思い込みを捨てて、

再度1つずつクリアしていく方法にしているところ。

 

 

「教育の基本は日々の生活の中にある。」

 

今日も何かの発見をして、親子ともに学んでいきたい。

 

それぞれの学年はあれど、その子にとって最適な学年ではないのかも?と

ちょっと視点を変えて考えてみることにしたら、

将来留年なんかで悲観的になることもないし、

もう一度同じ学年なんてラッキーだね!と言えるのかもしれない。

(短大から大学へ編入したとき、

2年次からだった自分は少し居心地が良かった記憶がある。)

 

 

子どもの可能性をつぶしてしまわないように

見守って寄りそうことを心掛けないといけないのかもしれない。

 

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そんな今日も、

娘の「早く起こして」を私が約束を破り、

ふてくされていた娘を二階から下してきたら

足が痛いから学校行きたくないと。

 

仕方なく湿布を貼っておいたら、そのまま靴下履いて学校へ行きました。

 

本当はランドセルの中身の準備をやるのが嫌になっていただけで、

いろいろと理由をつけて休みたいと言ったようだけれど

一緒に準備していくことで気持ちも落ち着いて

すんなりと行ってくれました。

 

本人の本当の気持ちを他人がくみ取ってあげることはなかなか容易ではないし、

ゆっくりと話しを聞きたいところだけれど

それもできないときも往々にしてあるわけで。

 

今年は担任の先生にも、

自分の気持ちを素直に表現するのが苦手なので

様子をみて欲しいとお願いしていたおかげか

心は少し安定してきているように思う。

 

安心して寄り添える大人が周りにたくさんいるんだよと。

私は、親が全てではないんだよと、声を大にして言いたい。

 

悩んだ時、躓いた時、

世話焼きの母は私を導いてしまっていた。

また私も同じように導いてしまっているのではないか?と思ったら、

他の大人(担任や電話相談など)に相談することを勧めている。

 

道は1つではない。

固定観念に縛られていた自分に反省するとするとともに、

10年の間に植え付けてしまった私からの教えをなんとか植え替えないといけない

課題がある。

 

まだまだ子育てはこれから。

さて、次は何の本を読もうかな?